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 水橋郷土史料館だより No.25(平成15年12月3日)

 郷土史発掘

 水橋町荒町 高麗社の狛犬について

小松 外二

はじめに

 狛犬の渡ってきた道、これがシルクロードであった。西方より中国へ入ってきたライオン(獅子)は中国で怪獣の中間の姿である唐獅子となった。そして、祖先を守護する霊獣として、石に刻まれお墓の前におかれた。やがて日本に入ってからは、狛犬として神社、仏閣の守護に当たる事になったという。
 日本で最古と言われる石造狛犬は、東大寺南大門の運慶作、仁王像の裏側に蹲踞している。これは建久年間(1190〜99〉宋人陳和卿によって彫られたといわれる。
 ところで、狛犬の起源については様々な説があるが、まず、狛犬は、御張台の鎮子に用いられ、やがて、神社・仏閣に及んだという考え方には異論はないようである。主題へ入る前に、少し狛犬について学習しよう。
 『枕草子』(前田本)の「めでたきもの」の項に、「みやはじめのさほうししこまいぬ、大しやうじなともてまいりて、御ちやうのまへにしつらひすへ」とある。
 平安時代の天治年間(1126〜1130)に書かれた『類聚雑要抄』の后宮御料用浜床時物云々の註に「獅子は左に開口、狛犬は右に不開口在角」としてある。この当時では、ししとこまいぬは夫々別
の動物と考えていたのである。それが次第に時代が下がるに連れて、区別していた思想はなくなり、狛犬も獅子化して左右同じとなってきたといえる。
 さて、獅子はライオンであり、狛犬は、高麗の犬または異国からきた犬であるが、造形的には両者は同じで、原型はライオンである。日本には生息しない猛獣が何故宮中に、やがては神社・仏閣にあるようになったか。それは、古代オリエントやギリシャ以来王は、百獣の王を膝下に据え威を持つという思想から移行してきているという。
 また、狛犬の阿吽の形態は、仁王即ち伽藍守護のため寺門の両脇に向かって立つ金剛力士像である。これは、二体で阿吽を構成している。
 神仏習合の時代に至ってこの阿吽の形態が、狛犬に移ったと考えることは自然である。同時に阿吽の表情は、神聖な霊力の横溢している姿を示している。
 狛犬の字は、霊獣を意識し、ケモノヘんに白と書くのは「白」は方向を示す場合「西」の当たり、西は霊界に繋がる事によるという。この霊獣観から方位をつかさどる四神獣(青龍・白虎・朱雀・玄武)のうち、白虎がもとであるという説もある.
 なお、上野益之著『日本博物学史』によれば、本物のライオンが初めて日本に渡来したのは、慶応2年(1866)正月江戸芝白金の清正公廟前空き地で、雌の獅子一頭を見せ物としたことに始まるという。日本人はそれまで獅子(ライオン)という猛獣を、絵や彫刻でしか見ていなかったのである。
(参考 上杉千郷著『狛犬事典』)

1.高麗社の狛犬

 水橋地区の神社にある狛犬を調べると、古い物は殆どなく明治・大正期のものが大部分を占めている。越中宝鑑に水橋神社宝物として、古代狛犬一対として記載されているが、今はない。社頭に御影石の狛犬があるが、年月の記載はなく、尾島屋治郎兵衛、上野屋平兵衛両者の寄進した物である。地域の狛犬の形態は蹲踞で一対向かい合い、阿吽の様相で大部分が御影石である。諏訪神社の狛犬は明治35年奉納で球を持っていることが他と異なっている。
 高麗社の狛犬は、最も古く、台石側面に弘化2年乙巳七月吉日(1845)奉納大道庵大道大和尚建
立 高田住石工金蔵と刻されている。当地と高田住の金蔵との関わりは、記録がないため不明である。唯、大道庵大和尚については、西水橋の渡し場付近にあり、館彦右衛門と縁があったらしく、墓地は、辻ケ堂本村の墓地で、彦右衛門と同じ区画内にある。彦右衛門は高麗社の境内に灯籠を寄進している。写真のごとく、狛犬は比較的小型でずんぐりしており、角からの高さは65センチ蹲踞の状態で、縦横(43×58センチ)高さ15センチ長方形の台石上にある。共に在角で阿吽を構成しており、他の狛犬と比べ特異的である事から興味を感じたものである。

黒井神社の狛犬

 石工の金蔵について何か資料がないか、上越の市教育委員会に問い合わせたところ、彼の銘の入った狛犬が、新潟県直江津市近郊の黒井神社にあるという。この狛犬は、尻をぐっと持ち上げた威嚇の形態であるが、顔や眼や鼻のデフォルメされた様相は、高麗社の狛犬と酷似しており、また、尾の形が大きく民芸的にも面白く個性的である。石造美術における高遠石工の貞治の石仏のごとく、金蔵の作品が更に発見され 探求されることを期待したい。

台石側面に、
高岡長門町 石彫師 金蔵   明治二巳四月
関東出稼人 酒造渡世人 武州川越 田中屋太兵衛


2.獅子舞と狛犬

 王侯がライオンの霊力を受けるために獅子狩りを行い、捕らえたライオンを調教した名残といわれる。王侯に権威を与え、見る人の邪悪を祓い幸いをもたらすという。飛騨地方の金蔵獅子という獅子舞では、子供が金蔵という獅子使いとなり荒ぶる獅子を御する所作がある。文殊菩薩が獅子に乗る事や、古代オリエントの王が権威の証明として獅子狩りをするのは、神力の偉大さを通し民衆の尊敬をかちうるとみたのである。獅子舞の金蔵と石工の金蔵、偶然にも同じ名であることに一層興味を覚えるのである。

 
小松 外二
Sotoji Komatsu
(略歴)
大正15年富山県中新川郡水橋町(現富山市水橋町)生まれ。
平成4年から平成14年まで館長。
現在、常務理事。
 
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